ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

雑感

私は基本的に何かを書くということが好きだと思う。
私は文章を作ること、頭の中の言葉をアウトプットするのが好きなのだ。
でもそれを仕事にしなくても別にいいと思う。データ入力とかいいかもしれないけど数字入力は苦手だ。

音大や美大を出なくてもアーティストにはなれる。私は他の仕事をしながら自分だけは心の中でアーティストでいよう。それだけで少し人生は豊かになるかもしれない。練習や創作活動は欠かさない。
詩人や作家にもなれる。私は芸術方面に秀でているのだから、今から力をためて死ぬ前くらいに発表できればそれでいいと思う。私が普通にやって普通に発表することが普通の評価になるんだと思う。ヒットさせようとかこれを飯のタネにしようとか思う必要はないんだ。私には基礎教育があるから、他の仕事ができる。これは幸運なことじゃないか。私は販売や接客の仕事に応募しようと思う。

日本語教育は外国で生きていく手段として使おう。語学もビジネスの手段。

時々思う。せっかくあの国に四年もいたのに○○語を全然マスターできてない事実。私は○○語を話さない集団と一緒にいすぎたのだと思う。知り合いのFEさんはドイツに二年近くいて、ドイツ語をマスターしてそれを仕事に活かしている。私はあんなにいたのに○○語をほとんど話せない。ずっとアニメばかり見てたから。これは後悔するべきことだろう。他の友だちみたくダウンロードする方法を教えてもらえば、別に○○にとどまる理由なんてなかったはずだ。日本語教育も十分にできなかった。なら日本語教育を十分にできて待遇もよければ○○に住み続けただろうか。そうかもしれない。ひょっとすると。そしてOさんみたくトルコ語を活かして仕事をするみたく、私も日本語教師の資格を得て、日本語教育にいつでも携われる状態にしておいて、別の生きていく手段として○○語をもっと学んでおいてもよかったかもしれない。
とにかく私はあの大学が大嫌いなのだから、○○の大学院に進むこともよかったかもしれない。でもあとのまつり。私は今度は○○の大学院に行きたい気がする。○○の大学院で○○語と経済かなにか勉強する。それもいいかもしれない。
ただ外国に出るデメリットは読みたい本が日本語で読めなくなるということだ。活字に飢えるだろう。哲学出身というところを考えると思想に関する本や心理学に関する本を英語と日本語で読みたくなるだろう。本当は哲学者になりたいのだろうか。

哲学、美学、心理学、心理学書の翻訳、中国語、英語、開発経済学、平和学、日本語教育、バイオリン、この中で私が本気でやれるやつを生涯かけて見つけないといけないのだろうか。少しずつかいつまんでいるうちに定年がくるのじゃないか。人生は短い。もう30だから、あと30年しか働けないんだ。それなのに今の状況でいることはかなりやばいことなんじゃないか・・・?何かを大成するのに多分人は10年近くかかるだろう。その権威になるにはもっとかかるだろう。

私は凡人として終わりたくないのだ。全ての分野において力を発揮したい。でも日本語教育はツールとはいえ、それを勉強している人はごまんといるわけで、その中で待遇の良い公立の学校や大学で教えるとなると院以上の資格が必要なのだ。

本心に戻って見る。外国に住むとしたら私が住みたいのはもうあの国ではないはずだ。あれは彼がいたからだ。でも今は違う。中国語をマスターする、フランス語をマスターする、英語をマスターしてネイティブレベルになる。その目的で日本語教育を海外で行う。英語をマスターして、心理学や精神医学や哲学をもう一度学び、英語で論文を。あるいは大学学を学び、より良い大学の建設にむけて取り組む。私が興味あるのは幼児教育よりは成人教育で、心の病に関してももっとも興味があるのは青年から成人の病、人格障害と言われる病だ。やっぱり英語圏かフランス語圏の大学進学と大学院進学と永住を目指そう。あと定年まで30年しかないんだ。