ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

私の歩いてきた道

落ちたと言っても正社員を一社初めて受けて落ちただけのこと。もっとたくさん応募して受からなかったら気が滅入るだろうけど、そんなこと理性でわかるのに今日気がめいったのはどういうわけだろう。
派遣の仕事をやる気でいたのに、もう他の人が選考中だし未経験より経験者が優遇されると聞いて、なら始めからそう言ってよと思ったからか、じゃ、○○社の件はどうなりましたか、と聞かれて、どうにもならなかったから今こうして連絡しているんじゃないかと心の中で逆切れしてやりきれなくなったからなのか、わからない。

とにかく私は就職活動の中でスタート地点に立ったばかりとしかいいようのない進歩しかしてないわけで、そこですぐに嘆いて滅入ってたら困るということだ。
まだ一社しか正社員応募してない、そしてそれがダメだったからといって何を嘆くことがあるのだ。

私の応募したい職には、最低でも運転できて、ワード・エクセルが使えるというものがほとんどだ。それができなかったら何もできないだろう。
でも今まで私はそれらをやってこなかった。日本語教師と音楽講師をやってきた。教育を飯の種にしてきた。
どうして他の職を?と聞かれるのは当然のことなのだ。
それに対して答えを用意してないなら信用されないのも当然なのだ。

私は、今ここにいる、この地で働いていきたいし、家族と一緒に住みたいと心のどこかで思っている。家族と同居してとにかくお金をためたいと思っている。何のために?それは院に入り勉強を勧めたいから、というのもあるし、両親に今までかけたお金の面で返していきたいし、学費のローンがあるからというのもある。
それ以外に自分の夢は特にないのではないだろうか。
日本語教師をやる自信もなくしているし、日本語教師をやったとしても現地採用と変わらない扱いでお金をためることはできないんだ。
日本で日本語教育に大学などで勤めても非常勤になれるくらいで、常勤になるには院卒でないと安定した給料も望めないだろう。
やりがいのある仕事とはいえ、給料がついてこない。
バイオリン講師にしたってそうだ。やりがいはあるけどお金に反映されない。
私は金銭的に困るのが嫌だから金を稼ぎたいほうで、何か特別な夢や目標はないのかもしれない。あるとすれば大学での勉強や資格を取ることだ。
取りたい資格はずっと前から胸の中にある、臨床心理士ソーシャルワーカーなどの精神福祉に関する資格だ。英語の自信はもうなくしたし、英語の能力を保ち続けるための勉強も今までしてこなかった。なぜかというと、英語に魅力を感じなくなったからかもしれない。でも英語のラジオ番組は聞いている。聞いていると、何につけてもモチヴェーションが上がるからだろう。ビジネス英会話に出てくる人物のように國際ビジネスのシーンに自分も登場したいとどこかで思ってるからだろう。でもこの年で國際ビジネスにかかわることなんて難しいことで、それもほとんど心の中ではあきらめているのだ。
そもそもなぜ英文科に進まなかったのかと言うと、当時から英語はツールに過ぎず、自分で身につけるものだと思っていたからだ。でも今になって英文科卒でないことが自分にとっての自信喪失の原因となっている。
私は英語は自分でマスターし、語学は自分でマスターし、+世界で必要とされるスキルを大学で磨くべきだと思っていた。
でも世界で必要とされるスキルって何かわかっておらず、私は單に心の闇に向かって哲学を専攻してしまった。これは誤算だったかもしれない。国際関係や開発経済学も学んだ。でもなぜだろう。なぜそういう分野に行こうとしたのか。私は政治に向いているのだろうか。国際社会を平和で安全なものとしたい。人間の通すべき権利というものが全ての人間に当てはまるようにしたい、そのためにどうしたらいいのかということが知りたかったのではないかと思う。
哲学を学んだのは、自分の中の病を治すことと関係していた。リストカット、憎しみ、恨み、襲ってくる憂鬱と自分がヒロインであるかのように錯覚する躁の状態。それらを文学の中や心理学の中、哲学者の中に見つけた気持ちになり、私はそれらについて知ることで自分を知ろうとしていた。だから哲学を選んだのだ。しかし哲学で勉強させられたことは、論理だった。私は論理を学びたかったのではなく、自分と同じ人間を学問の中にみつけたかっただけだった。見つかっただろうか?自分と同じ人間が?そしてその人間を分析し、自分の現状の原因がわかっただろうか?いや、わからなかった。

時代が私を動かした。私は海外へ逃げた。私は日本が危険な国だと思った。日本人社会の中では私は自分を弱者で不適応人間だと感じた。だから海外へ赴いた。そして海外で私は恋愛と自国語を現地人に教えるという生活を始めた。
その中でも私は不安だった。恋愛を結婚生活に発展させ子どもを産み育てていればまた変わったのかもしれない。でも私はその選択が怖かった。自国語を現地人に教えるということを今度は自分に課せられた使命だと思った。でも学生に言われた、あなたは教師というよりは芸術家ですね、と。私は芸術家になることを恐れた。私は経済力が欲しかった。藝術で身を立てる自信などどこにもなかったし、芸大卒でもないことがまた私の自信をなくさせた。でもあの学生は私のことを教師らしくないと言った。教師らしくないという言葉は私に影響を与えてしまった。

私は教師をやめた。
でも再び教師をしながら生活することを選択した。
そしてまた教師をやめた。
事務、営業、販売・・・・・そういった仕事をしようかと悩んでいる。
私はいつも教師の資格を持たないにも関わらず教師をしてきた。
私立の塾や学園で。
私に免許はいらなかった。私はでも自分の能力で採用されたとは思わない。なぜ採用されてきたのか不思議だ。私の意志のなせるわざだったのだろうか。

悩んでいた時、語学を生かした仕事もした。生活する中で身に付けた英語を活かした通訳の仕事もした。でも私はその仕事の最中、不安に襲われて仕事を中断せざると得なかった。私はまた病気になっていたのだ。

そして今現在病気はほとんど完治に向かっている。
仕事はどうしたらいいか、誰に相談したらいいのか、わからない。