ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

自分を失ってまた見つけた

うつになっていて、いつのまにか、無意識のうちに暗い雲がのしかかってくるのを感じた。そうすると、自分を怒らせたり、暗い気持ちにさせた言葉が浮かんでくる。その状況とか。
それはもしかしたら、相手は何も悪意はなく、冗談と受け取ってもいいものだったのかもしれない。でも、やっぱり私は自分のこのまじめな性格を捨てようとは思わない。
いくらそれによって自分自身が心を痛めたり傷ついたり、怒りを感じたりしても、私はそれを抑える。
いためてもいい。誰も傷つかない。ただいい方向に向けて、変えていきたいのだ。
すばらしい世界が見えてきた。
私は、自分が正しいと思う道だけ見ていればいい。それに従ってくれない人が周囲にいてもいいから。ただ善意と愛をもって、期待だけしよう。
期待を持ち続ければ、期待を裏切られるなんてことはないのだ。
ほら、すべての人は善意に満ちている。誰も他人の不幸なんて願ったりしない。
そんなこと、世界にとって何の財産にもなりはしないから。

私のことを誰も笑いはしない。いくら真面目でも。それは周囲を真面目にさせるから。
自分を信じなくなると、誰も自分を信じなくなる。誰も自分を本気の人だとは思わなくなる。そして誰も従わない。私を見なくなるだろう。
私は反抗的でもなく、反体制的でもない、私は善意を持って物事をよい方向に向けようとしているだけ。それは間違いではないから。
いつからから憎しみや憂鬱だけが私を支配したが、それは信仰を捨てたせいでは?と思った。私は捨てたのではなく、逆に多くの信仰に触れるきっかけを作ったのだ。
善意は私にとって一つの神かもしれない。善意は自然の中にあるだろう。多くの善意に触れる機会を作ったに過ぎない。
芸術や虚無、プラト ンの書いた魂の寓話、
これは幸運なの。

起こったり悲しむ必要はない。誰も私に危害を加えてはいなかった。ただの悪ふざけだったのだ・・・。そう思えるだろうか。
思い出しても、そう思えるだろうか。あれに悪意がないと。
悪意ではなく、もしかしたらこう考えることもできる。いつのまにか出た本音、それは弱さや嫉妬、羨望、期待はずれの結果の憎まれ口だったと。
祖母はあの時笑っていた。あれは冗談だと受け取ったからだろう。それに真面目な反応をしてしまう私は決して悪くはないのだ。ただ自分自身が苦しむだけ。
あの人は「なにが?こっちが、もういいよ、だ」といってる。あれも多分、弱さの現われなのだ。弱さ、寂しさ、羨望、嫉妬、期待はずれの結果出た相手への攻撃だったのかもしれない。相手の悪口を言うことによって。でもそもそもなぜ他人に期待などする?
1をもらうと5を期待するのはなぜですか。