ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

うつなのに統合失調症とか2,3回の面接で判定、入院になっていまし

久しぶりの日記。短期アルバイトをしていたから。「なによりも調子が狂い始めた。サミットが終わってから。

五月のことで、病院から悪い影響を与えられ何もしない私でもいいと思い始めた。正義に反することだ。外来治療で良くて、自分で何でも出来る私がなぜ老人に混じって入院させられたのか。
そして一生ものだと思ってください、両親に言った。

私は怖い。統合失調症という自覚症状がない病名を使って、その予兆のある人、を集めて金儲けしてるだけなんじゃないかと。看護師の態度もいらいらしているようだった。統失が本当のことでもしても、入院するべき状態なのか。2,3週間といはじめの任意入院の段階で私は医者の良い、数日経つと2,3ヶ月と言いはじめた。他の患者も同じじゃないかという疑惑が嘘だったら私は迫害されるだろう。

家族や友人との関係も悪くなるに違いない。

怖い。だからできないのだ。これ以上のプレッシュア\あーに。
今日一瞬どきどきした。。温泉で今に発狂するんじゃないかと。

毎日考えてしまう。医師の判断いやな目にあったということで片付けたい。「棚にしまっておきなさい」私は悩む。集団で無口になる。自分を統合失調症と決められてもう仕事も何も出来k無いのか、と思う。この場所は東京にいたときより幾分ましだった。私は自傷行為もしてないし、幻覚も無い、焦燥感と恐怖が時々私を襲うのだ。私がその病気だったのは違う。番わないにしても、入院するほどのものではない。薬も自分で飲めるし家事もやってて元気だった。
でも一瞬空虚感やあせりが襲い人から見られて嫌で我慢している。
私は一体なんだろう。症状のかたまりで、何も病名をつけられないのが普通じゃないか。
でも私に病名を告知した。

その後こっちに実家に親に付き添われて帰れた瞬間は救い主を見たかのようだった。父母に感謝した。私は殺される(薬で)とも思ったりもした。反抗したり暴力沙汰になるのが普段の私だけど私は医者の前で従順さを見せ付けた。

エレベーターで下がり新しい世界を感じた。でも評判やなんかを聞いてから病院を選ぶべきだったのだ。父母がとても大事に思えた。悲しいのは母がもうあんたを遠くには置かない。

結婚していたほうが幸せだったのだろかとも思ってしまう。
毎日が長く、勉強とかたのしいことだけやってる。

でも薬は利いてるからそわそわしないし、手に力も入る。でも歩行がゆらゆらしてるのだ。 毎日生きる喜びながら生きて行きたいのだが私は眠さと未来が理想とまったく違うことを仕事にすることだ。

そうならないために方向を考えないといけない
私が際を発揮できるのは朗読、歌l、詩人にもなれるだろ。詩人になろう。イラストレーターもl映像、物語、人物の一環した物語、音楽なのだ。

哲学にはあっていなかったからあのSはアカデミックハラスメントをしたのだ。
その後二年ほどそれがくっついていた。
でも
台湾の人々の素晴らしさを見たし。神様が私の行動を計画しているのだから、きっと素晴らしい結果が死ぬ前にでるだろう。


*しぬ前にやりたいこと。B君の詩にイラストを書くこと。イラストや芸術性を認められること。
 愛し合う関係の人間が近くにいること。