ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

失敗を恐れるわけにはいかないな・・・

  • 今日は旧暦の一月一日。

昨日はおおみそかということで、彼氏のパパママ、近所の人と食事した。パパママは私の将来を案じているみたいでした。今の仕事嫌いならどうするんだ?何をやるんだ?と。
自分のことについて親身になって相談してくれる人がいて本当に嬉しい。おみやげにはパパママに緑茶と白ワインをあげた。

  • ああ、一歩が踏み出せない自分がいる。

でも周囲の人たちにさんざん責められて(責めているつもりは無いんだろうけど、私にはそう聞こえます。これはpersecutionの妄想なのかしら。人の悪意を見出したり疑ったり。)きたから、その人たちを必ずや見返してみせるといつも思っているのです。
何より自分に負けたくない。もう自分にいらいらして、自分に嫌気がさし、自分がかっこ悪いと思い、自分が不細工だ(鬱な時いつも鏡を見ると自分が信じられない不細工に見えます)と思うのは嫌なのです。言いたいことははっきりいいたいし、無理して作り笑いなんてしたくない。

  • 私は良好な人間関係を作れないのだろうか。

数ヶ月前に同僚とけんかしたことを考えると。まあ、けんかといっても私が一方的にきれてただけ。自分ってやな人。
でも食事会でその同僚と私が同席して、私が普通に「これ食べますか」なんて話しかけてるのはいったいなんだろうと自分でも思いますが。
私としては、もう忘れたつもり。じつは全然忘れてないし、その時のやつの言い草や態度を思い出すと腹が立つけど。でもその思いにはふたをしておくんです。でもやっぱりあまり眼を合わせることはできません。あまりあいたくないし。あわせる顔がないはずです、普通。相手だって私をどう思ってるか・・・全くわかりません。失礼な人間、かな?

  • 人間関係をよくするアドバイスなどが書いてあるサイトから学んだことです↓

嫌いな人とどう接するか。嫌いな部分は見て見ぬ振りをして、いい部分や価値のある部分を見ればいい。
自分自身あるいは他人をいつも一歩下がって客観的に見てみる。その姿は美しいか、好きな自分か。などなど。
あの同僚が嫌な感じだったのは、もしかすると私がそもそも嫌な感じだったから。そういえば、その人に私は愚痴をこぼしてました。それにちょっと乱暴な言葉遣いをしてたかも。
となると、私の態度や愚痴がその人は嫌だったのかもしれないし。

  • もうひとつの悩みとは、怠け者だということ。

実は、ただ失敗を恐れすぎて行動に移せないだけで怠けもの、というとちょっと違うんですけどね。失敗してもいいじゃないか、失敗すればすれほど成功するのだ―なんてわかってますけどね。
当たって砕けろ・・・それもいいのでしょうか。恥かいてもいい、未熟でもいい、でもいつもの頭が真っ白になる経験や、憂鬱や、いらいら、自分が何をしているかわからなくなる体験や、本音を思わず言ってしまうようなことがあったらどーする?そして過度の緊張状態が訪れたらどうする?
いつも一寸先は闇。未来に自分が何をしているかわからない生き方。いや、一応目標には向かっていても急に自分の足元が崩れるような感覚。
でも死ぬまでこんなおびえた生き方をするわけにはまいりません。死ぬまでみんなに、行動力ないね、とか優柔不断とか、言われるのは嫌です。

  • ああ、そしてもうひとつよんだ記事は、目標到達までの過程を楽しむ、ということでした。

ゲームに勝ち負けは関係ない、ゲームを楽しんだ人が勝ちだ、と最近見たドラマの「野ブタ。をプロデュース」の主人公も言ってたっけ。
私は高校生よりもそれに気がつくのが遅いと言うことですね。なぜって結果ばかり気にしてますから。結果が悪ければ意味無いじゃん?私はそういう考え方しがち。
だから結果を恐れ、一歩踏み出せず、努力をしても努力によって自信をもつということができなくなっていたのです。つまり、結果ばかり気にすることは、結局私を弱い人間にしてしまいました。常に何をするにしてもそれが、それそのものが意味のある行動で、糧となり、楽しさとなると考えた方が多分幸せになれるんだろうと思います。
掃除にしても料理にしても。
私は料理は決して好きというわけではないんです(好きな時もあるけど洗うのが嫌い)、でもおいしいものが食べたいたらやるわけで、過程を楽しんではいません。でもその過程だって楽しまないと、人生全体が積もり積もると楽しめなくなるに違いない。それは確かに損です。
とにかく、嫌なことがあるたびに、気持ちの整理をする癖をつけよう。感情にふりまわされてはいけない。