ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

小説『症例A』を読んで

[rakuten:book:10928758:detail]という本を一週間前に図書館で借りて、一気に読みました。とても面白くて。
精神科医が主人公で、境界性人格や多重人格の患者さんなど出てきます。
その人たちの世界が見えるいい小説だと思いました。特に境界性人格に関しては、ああ、そうそう、と自分でも納得できる部分がありました。
境界例シフト」という言葉が出てきました。境界性人格の患者に対する対処について項目化されており、医療スタッフにそれを主人公の精神科医が説明します。それを見ていて、なるほど、と思う面がありました。
依存感情をあおらないこと・・突き放して振舞う・・など、賛成できます。
あるスタッフが「まるで(境界性人格患者に対し)敵に対抗するかのような言い方でした。」と言っていましたが。
患者が依存してしまうようになるとそれは結果的に本人を苦しい状況においやることに他ならないと私も思います。依存してしまうと、その依存対象がないときとても苦しいのです。それにその依存対象がなかったらやっていけないという無力感や不安にさいなまれたりもし、自信喪失につながってしまうでしょう。
ある境界性人格の患者は入院がかえって逆効果だったと書かれている部分もありました。もちろん一般論ではありませんが、入院したとしてもそこは短期的な生活の場所であり、入院しつつも自立できる自信が持てるような状態でなくてはならない・・と私も思います。
私も入院経験があり、たった数日でしたが、一人暮らしをしてきた時に比べてずいぶん世界が変わった気がしました。守られている安心感もありましたが、ここが安住の地であると錯覚してしまっても困るので、私は病院にいたいと思いつつも早く退院することをいつも求めていました。外でまた生きていけるだろうかという不安にあおられていたんです。医者やスタッフもいないアパートの部屋で再び恐怖や不安に襲われたとき、どうしたらいいのか、という不安があったのです。それは杞憂に過ぎないとしても、外で生きていけないのではないかという不安が現実化しないとも限りません。そんな場合、入院は逆に依存性を高めてしまうこともあるのではないか、と私も思いますね・・。

それに私が入院した時も、自分が病気だ、とか自分の性格の暗い部分ばかりに目が行ってしまって、それがただ性格の一部であるにもかかわらず・・・自分の全てであるかのような錯覚にも陥ってしまいます。これと同じようなことが書かれた箇所もありました。主人公の榊の同僚、ゆきのかかりつけの医師の言葉でしたっけ・・・。そうなると、自己憐憫から抜けることが難しくなります。人間は〜なときもあれば、〜な時もある、というように、もし暗い過去があったとしてもそれだけがその人の人格を作る全てではない、とのことが書かれていましたっけ。これを読んだ時私も、安心しました。

主人公の医者がある境界性人格の疑いの患者について診断をつけかねている時、腕がきれいなのを見て、そうではないかもしれない、と考えている部分がありました。腕の傷があるにしてもないにしても境界例人格である可能性はあるのかもしれませんが・・・
私の場合、傷つけるイメージが頭にとりついて、実行にいたる場合はありますが今は昔に比べると、考えに変化があります。それをすると、入院した時親身になってくれた看護師や医師の方々に申し訳ない気持ちになるでしょう。だから自分を抑制することができるようになりました。それに、この気分は永遠ではない、いつか去るのだ、と考えればいいのです。それを待てばいい、ただ忍耐が必要なのだと感じました。それといつか去ると思えるほどの楽観性が少しでもその時にあればいいんですが。何かポジティブな文章や絵やビデオや音楽や詩を見るルールを決めてもいいかも。怒りと暗黒一色の脳に光を差し入れるには外部からのそういった刺激が役に立ちそう。でもその刺激も自分で与えないといけないでしょうね。

その小説においても「彼女らに必要なのは忍耐です」という節がありました。しかしその部分についてはやや疑問が残ります・・・。境界性人格は忍耐不足、、というわけではないと思うんですよね。そういう意味ではないと作者から言われるかも、しれませんが。むしろ私が思うには、私の個人的な言い分ですが・・今まで色々な感情を押し殺して我慢してきたと思っているんです。その反動のせいでもう我慢などしたくない、という思いもあります。反動なんでしょうか・・・わかりません。
でもじっくり考えるよりも、感情的なときに行動することが吉とでる場合もありますよね。ただし後悔先に立たずですが。何か大きなことを決める前に相談しなさいとよく言われたものですが、相談しているうちにせっかくの強い意志が薄れてしまったら、また空虚感にさいなまれるじゃないですか。そういうわけで感情的なとき、感情に任せて行動したいという気持ちがあるのですよね。一番怖いのは空虚感ですから。