ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

ちょっとした心理テストをやってみた。ここの心理テストは面白い解釈がついてる。

http://style.beauty.yahoo.co.jp/fortune/artlogy/result4.html上のリンク先の内容です⇔『あなたは、抜群に仕事ができたり、常に優れた実績をあげているような、いわゆる「できる男!」というタイプの男性に弱くありませんか?

4枠を選んだあなたは、生活の中で「結果優先」を根本とした考え方をしているようです。このタイプの人は、管理職のような仕事や、責任転嫁できない職種に就いている場合が多いようです。そのため、その深層心理に「他人や異性に対して失敗が許せない」といった気持ちが生まれ、心に焦りを感じやすくなるのです。

あなたも結果だけを見て、「他人と自分」「他人と他人」などを、知らず知らず比べて評価しているのではないでしょうか。男性を見るときも、無意識のうちにそういう傾向が表れているはずです。

特に、このような気持ちは、過去における両親のトラブルなどで心を痛めた経験がある場合に強く表れます。

そんなあなたのタイプに名前をつけるならば、「比較傾向型」といえるのではないでしょうか。

不器用だったり、苦労を重ねている人は、それだけ他人を気遣え、優しくもなれるはず。あなたが困ったとき心から頼れるのはどんな男性か、もう一度考えてみてもいいのでは?』



この文の中で気になったのは、私には「他人を比べたりする」傾向があるらしいという部分。つまり他人を評価して品定めしてるという意味にとっていいのかな?でも私はそんなことしないと思ってるから当たってない。別に「できる男」だけが好きというわけでもないし。
でもそういった心の傾向は「両親のトラブルで心を痛めた経験」に影響されたものとも書いてある。これについては心当たりがある。
父が家に帰るとうれしかったけど喧嘩が始まって、そしてそれが私にも飛び火して何か些細なことを理由に怒られたりしたから。
両親のけんかを見ると、他人を評価するような人間になると解釈していいのかな?もしそうなら、それはこういうことなのでしょうか。つまり、両親がけんかしないなら、「父と母どちらも良い」、「どちらもそれぞれ良い」と考える。そもそも、どっちがどっちよりも良い、悪い、なんて考えない。でも両親が喧嘩してたら、「今回は、お母さんが悪いんだ」、「今回はお父さんが悪いんだ」、と子どもは判断しようとするのかもしれない。あるいは、「いつもお父さんが悪い」と言う風に定着したイメージさえ持ってしまうかもしれない。

そういえば、私は裁判に関するものが好きだ。どっちが悪いのか、それはなぜか、考えるのが好き。そして自分の判断が少数派だとあまり喜べない。自分の判断がなるべく多くの人の判断と同じであり、それが実行される確率の高い正義であることを願う。
世間の多くの人が、私の判断した悪を悪と見なさず、または私の判断した善を善と見なさなかったら、残念で、怒りさえ感じる。

それも、両親の喧嘩をいつも目の当たりにしてビクビクしていた時代と関係あるのでしょうか。





それから、「結果優先」は当たってるかもしれない。プロセスを楽しみ、価値を見出したいという考え方もよく理解してる。私自身もそうあるべきだと思うし、そうありたい。
でも結局、結果だけを見ていることも多い。結果がだめなら、それまでの行動は全てだめなものに見えてくる。でも結果が良くても、運が良かったとか思って慎重になることをいつも忘れない。だから気が抜けない。
いくら頑張っても結果が良くなければ何の意味もない、ってよく私が思うこと。こういう考え方はあまり幸せにはなれないと思う。



あと、困ったとき心から頼れる人は、はっきり言っていない。彼氏は何の役にもたたなさそう。もう彼に助けを求めたりすることはしないつもりだ。彼の返答は的が外れてるし、彼自身たいした人生経験も苦労もしてないおぼっちゃんだから、人を助けたり助言したりすることができないのだ。独りよがりで自分の世界の中に生きてる人だし。精神が外に対して閉じてる感じだし。自然も大事にしないし、他人や社会に迷惑かけるの平気だ。
仕方ない。私はそういう相手には我慢ならない。どうなるかこれからわからない。でももし別れても、心に穴が開いたようなポカーンとした気持ちにはなっても、泣くほど悲しくなったりしないと思う。ああこれで良かったんだなって思うと思う。あんな相手といつまでも一緒じゃなくて良かった。正しい選択だった、と未来に思いそう。
多分これまででずいぶん嫌になってるし、喧嘩もして頭がおかしくうなるほど怒り来るってたことも何度もあったし、その苛立ちと怒りとどうしようもなさで自傷行為をした傷跡も目立つくらい結構残ってるわけだし、今まで付き合ってたのが異常だったと思えるだろう。友達にも家族にも「そんなに腹が立つならいっそ別れたらせいせいするんじゃないのか」と言われてるし。
でもまたケロッと仲良くなったりするのを繰り返してたが、多分そろそろ限界が来ている。多分、もう二、三ヶ月前からこうやって日記を書いたりし始めたから、嫌なことをよく記憶してる。日記を書かなければ、過去のことをいつも水に流してたかもしれない。でも日記は私に統一性を持たせるものだ。過去から現在、未来へつながるひとつの私を作り上げる。だから、その時その時の感情で変わる私からは卒業できるかもしれない。