ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

エニアグラム

あるサイトでもう一度やってみた。人の本質は二十歳以下ごろだと書いてある。でもあの頃の私はずいぶん変貌した。だから本当の私がどれかは今はわからない。

  • 仮に高校時代の私になりきってやってみた。

芸術家タイプ4(9点)、研究者タイプ5と統率者タイプ8(7点)、次が調停者タイプ9(6点)。
意外な結果だけどその頃の私を言い当てている。特に調停者の値がやや高いのは今の私から考えると驚きだ。確かにあの頃、私は誰の肩も持たず受容性があり偏見を持たず、人の話をよく聞き、情緒は友達に対しては安定し、公平で人の悪口も言わないし、自分に満足していた。平和的な人だった。寛大で。そんな自分が好きだった。統率者タイプは意外。私はその特性の一部のみある。その頃であっても私はリーダー格とはいえないが、白黒はっきりさせたいところは確かにそうだった。特に家族の中で私はその性格だったのだ。公私関係なく研究者と芸術家タイプで、公の部分で調停者だったのだ。でもよく読んでみるとやはり調停者は私ではない。。。欠点を読むとそれは私には当てはまらないものだった。

  • 二十歳か二十一歳ごろの自分、

特に夏に旅行したことが思い出されるのでそれでやってみると、芸術家タイプ4が(10点)、研究者タイプ5が(9点)、タイプ七楽天家が8点、タイプ6堅実かが7点、タイプ1完ぺき主義者と調停者タイプ9が(6点)、統率者タイプ8と達成者タイプ3が、(5点)、献身家タイプ2が(4点)。
あの頃は行動的で明るく誰もが大好きですぐに友人を作り、自分を十分表現していた、多分親元を離れて自由を得たからだ。同時に、堅実になったのは節約な生活をせざるを得なかったからだろう。完ぺき主義の点数が上がったのは、大学の勉強にかかわることだ。専門分野をより完璧に、節約も完璧に、と。調停者タイプは下がった。多分、人と競争する意識がかなりつよくなったからだ。私は不本意なレベルの大学に行く結果になり、負けたくない、自分をもっと向上させたいという欲求がものすごく高くなった。努力もした。完ぺき主義になり、達成社タイプの点数も上がったんだろうか。献身家ではないことはここでもわかるけどそれも点数が上がってる。
全体的に点数が高くなっているのはとてもいいことだ。
親を離れて自由に自分の目標へ向かい新しい友人たちとかかわることがプラスになったのだ。

そして二十代半ばでやってみると
タイプ4(9点)、タイプ5(研究)・タイプ1(完璧)・タイプ7(楽天)が7点、統率と堅実が6点、達成が5点、献身と調停が4点。
芸術家と研究者という点は変わらない。でもやっぱり、タイプ1がかなり強く出てるのはわかる。私は理想・正義・倫理を求める気持ちが強くなった。自分にも他人にも厳しくなった。これはボーダーラインの症状が強くなっていた経験と人間不信にも関係している。あの体験は衝撃的だったので今でも私に不安と恐怖を与えている。堅実の点数が高くなったのもそれが原因。石橋をたたき、けちで、でも人との関係が律儀で誠実になったのだ。感謝して人を大事にするようになった。
楽天的な点数が高いのは、これらの体験の反動なのだ。私は完ぺき主義の辛さを良く知ってるから、完璧である必要はないのだ、ある程度できればいいのだし、完璧でないことを嘆くより、欠点を見るよりも、いい点を見てその気分をよくしないとうつ病になって逆効果なのだ。うつ状態という恐怖は常に離れない。気をぬいたら自分はどんどん沈んで現実逃避をしてしまう。
一日一回、自分のおかれた状況と、他人の動向、社会の動向、これまでの経験でよかったこと、感謝すること、自分の経済状態やスキルの状態、自分の健康、運動の有無、睡眠の有無、色々と自主的に目を向けないといけなくなった。
調停者である点数が激減した。高校時代に比べて。これは自分が希望の道を歩めなかった、希望の教育を受けられなかったという被害者意識のせいかもしれない。本当は、高い教育を受けているのだろうしそれほどチャンスが奪われたわけでもないのかもしれない。でも私の中にもっとやれる、もっとできた、という思いが消えないから、競争心や野心が消えないのだ。こんなに昔はがつがつしてなかった。級友をどこかバカにしているときもある。あんなやつより私のほうが有能だ、という風に。そして兄弟とまで張り合おうとしてる。兄弟、家族、同僚、恋人、友人、近くの人たちとことごとく競争してる。そして自信がない。今はそんな状況。

でもやっぱり私は、今の行動から見ても分かるように、研究者色が強い。こんなに自分を分析するのが好きで、そのときは心が安定して安心している。好きなことをしてる。そしてやっぱり楽天家なのだ。好きなことをしてしまう。時間を忘れ、あれこれやり、朝寝坊している。でも時々とても焦る。でもあれらの中で一番辛いのは完璧で堅実なことだ。堅実である人へのアドバイスは、不安の根源を理解しましょう。完璧である人へのアドバイスは、楽天家をい習いましょう。楽天家へのアドバイスは、5番。責任をもちましょう、現実を冷静に見て厳しい状況に対処して楽しいことへ逃げるのをやめよう、客観的・冷静になろう。私は研究者タイプの側面の自分に高校時代からずいぶん助けられてきた。自分の感情や原因をきちんと見て、それも芸術家のような見方ではなくて、客観的に向き合いよりより方法論を考え対処してきた。でも今の自分にかけているのは、行動力と勇気。統率者の持つ、情熱や白黒はっきりさせてどちらかにつくそういう性格はどこから来るんだろう。これらの人々を導かないといけない、とかそういう思いからだろうか。責任を負い、正義を重んじ、有言実行。。これは私の半分のもの。
でもどうしたらいい?多分もう彼氏に頼らないこと、家族や他の人間の言うことに気をとられないことだ。
今の私が目指すべきは、研究者のプラス面と芸術家のプラス面を保持しつつ(アドバイスも聞きつつ。芸術家に対しては、自信を持ちあるがままの自分を受け入れること、研究者に関しては外界の動向をみて自分の世界に埋没しないことや冷静すぎて冷たくならないことや恐れず自分をはっきりと表現すること)、統率者の気概を親しい人たちだけでなく外の人間にも出していくことだな。それと楽天的である自分を発揮するときは、完ぺき主義になりすぎたときと堅実になりすぎたとき。これによって私はずいぶん悩む。
たとえば・・・買い物で買うものにかなり悩んだ、先日。あの時、私にはどんなスキルが必要だったんだろう・・・。調停者が参考になるかも。物事を深く受け入れる、受容する。私は堅実すぎて悩んでいたに違いないから、悪い商品だとか、損するとか考えないで、どれを選択したとしても受け入れればいい、それを選んだ自分も、その商品も、少ししぼんだ財布も、すべて受容したらいいのだ。そんな風に考えたことは一度もなかったな。人間関係に関しては調停者だったけど、自分に関しては、そうではなかったな。これは失った自己のある部分で、もう一度取り戻したい。多分買い物で悩んでるときこの商品は○○なんじゃないか・・と偏見が働くもそうだろう。ものに対しても偏見を抱くべきではないのだ。分析しても限界があった場合、次にするべきことは、そこまでの分析結果で受容する、ということだ。分析して考えて、あるいは、買ったことによる非常事態(ありうるかどうかもわからない)を想定して不安になり恐怖する、これは今まで私が取りがちなパターンだ。そして何時間も売り場をうろうろ、これではいけない。まず、不安の根源を探る暇はない。それなら、芸術かも完ぺき主義も研究者も堅実家も役に立たぬ。このとき役に立つのは、調停者。楽天家もいいかもしれないけど、楽天家に決断をゆだねるとそれはその場の感情だけにゆだねたことになってしまう。私の中の芸術家も完ぺき主義も堅実も研究者もそれを受け入れることはできないから、やっぱり調停者の意見を二十パーセントくらい聞けば、それこそ完璧な判断になるだろう。楽天家でい続けることは今の私には無理なのだから、楽天家にアドバイスを聞いて後で余計後悔することになりかねないのだから。楽天家は二十歳の時存在した・・それが消えかかってることは残念なことだけど。
楽天的な自分は大好きだ。友人と明るく笑って遊んで、どこにでも行きたいところにもいって、貧乏でもぜんぜん不満じゃなかった。自立してる自分が大好きだった。行動的でエネルギーに満ちていた。二十歳か二十一歳の夏だ。最高だった。自分を有能に感じていた。一度にたくさんのことも平行してできた。音楽も良くきいて、音楽が最高だった。どんな遠いところでもぜんぜん遠いと感じず、ライブにも行った。好きなアーティストのファンと友達にもなった。知らない人に話しかけて楽しかった。周りが自分をどう思うかなんて気にしなくて、ただ自分の好きなことや感情に任せて動いていけた。しかもあの頃私は楽天家の欠点としての無責任さや浮気性もなかった。欠点のない楽天家だった。人からの評価も良かった。うそもついたけど、罪悪感がなく、笑っていた。もし罪があると言われても私は、笑って謝るだろう。人生からみたらそんな些細なこと、深刻になる必要がどこにある?その三、四年後におきる深刻な病気の兆候など微塵もなかった。うつ状態とは無縁で自傷行為とも無縁で、まったく考えられなかった。あの頃の自分がそんなものを再び経験してしかも入院までするなんて。
どうしてああなったんだろう?いったい何を間違えてそんな方向へ行ったんだろう。暗い影は少し見えた時もあった。その暗い影が大きくなったんだろうか。そんなものは完全に消えたと思ったら再び頭をもたげた。どうしてだろうか。大学の勉強と就職や留学など競争意識と自分が有能だと感じて飛躍しすぎて完璧を追求し自分を天才と勘違いしたことがすべての誤りだったのだろうか。いや、そうではない。不満がそうさせたのだ。こんなに有能なのに物足りない大学の課題、授業。腹立たしいふざけた教授、つまり私にあってない環境が私を憂鬱にさせ、それ以上の行動を妨げた。親も原因だ。転学を認めなかった。なぜ親の言うことなんて聞いたのだろう。秘密で転学手続きをしてもよかった。でも職員の過小評価名目つきが私をやめさせた。それでも屈せずにいればよかったのだ。明るい気分が不満に変わり、それをさらに不満にさせるような状況があれば心はすさむ。私は留学を思いついた。で、そこでの過剰な勉強がまた自分を病気に追いやった。なぜだろう?引け目を感じたことが一つの原因、劣等感が一つの原因、でも、自分にできる限りのことをすればよかったじゃないか。でもそうさせなかった。自分はここでいい成績で卒業する使命があると思ってたから。それができなければ死んだほうがマシだと思った。そして入院。
どこで自分をコントロールすればよかったんだろう。今思えば、そうだ、二十歳か二十一歳ころの楽天ぶりを、より責任感があり現実を直視させることと一つのことに絞り集中するという風なガイダンスがあれば、ある程度のところで自分を制御して、多くを求めず、多くを自分に期待せず、プレッシャーを与えずに済んだはずだ。あの楽天家ぶりはよくよく考えると病気を含んだものだったかもしれない。まるで自分が永遠の存在であるかのような錯覚。永遠に続く体力などないのに睡眠時間が異様に短く、異様に動き、異様な少食ぶりでやせていた。自分を美人と感じ、自分が好きだったけど、もしあれば病的な健康だったなら、私はあの頃の自分を目指そうとするべきではない。また同じサイクルの中にはまるかもしれない。私は永遠の存在じゃないんだ。
じゃ、今するべきことは?現実を見て、優先順位を決め、好きなものにあれこれ手を出さず、節制し、かといって、完ぺき主義や堅実のきわみに陥らず、平和的な自分も他人も受け入れる心を持ち、あるがままの自分を受け入れること。芸術家であっても悲嘆にくれすぎない、正義を愛し、不正義も自分の力に及ばないなら受け入れる、自分の欠点も受け入れる、理性的に判断する、自分に利益のある行動をとる、直観的に決断しても良い、はっきりさせる、・・