ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

i am happy and grateful now that...i have my own private room, quiet, with tv set, audio set, and i have my won refrigerator, desk, chair, couch, living room, i can see ocean from the living room
i go to my desk and do some creative work. go and have chat with people with knowledge, and exchange opinions and reviews on recent books, articles, movies, music...

覚悟を決めない生き方をするからあちこちふらふらする結果になるのだろうと思った。昨晩と昨日、理想の生活を思い描いてみた。でもそれは現実離れしてるような気もした。
もう嫌な気持ちを何もかも書いた以上、幸せはこないだろう。
私が学ぶべきことは、覚悟を決めた生き方をし、引き返さないこと。そうし続けない限り、信用も得られないし人間関係も安定しない。結局いつも寂しい人間になってしまう。
信頼しあう人間関係の中で礼節を保ちながら接したい。そして自分の気持ちに忠実にうそを付かず、いつも自分の心に耳を傾けていたい。常に。そうでないと自分を見失う。時間の許す限り、自分のために時間を使いたい。自分に与えられた能力を、もっと伸ばすことに集中し、広い部屋で、作品を作りたい。ただ夢のような作品ができればそれでいい。私は私のために描くのだから、自分への責任だけでいい。自分はその絵を毎日眺め、情熱を常に思い出し、情熱に従って死ぬまで生きていくのだ。雑念というものは、自分がこれにふさわしくない、自分には値しない、自分は悪い生き物だという一切の思い。自分を許し、他人を許し、世界を許す。あるいは、許される。そうすれば雑念が消えるかもしれない。そして純粋に情熱に従うことができるのだ。私が求められていることは、情熱に従うということだ。怒りでもいい。怒りを間違った方向に向けず、建設的な方向へ向け続ける。
嫌な感情を起こさせるものは私の欲しているものではない。私の幸せの鍵になるものでもない。だから努力して意図的にそれらを排除するしかない。意識から。それも私の仕事なのだ。
嫌なものはただ好きなものを際立たせるために与えられたものに過ぎない。それは手段。それに意識を向けすぎることは間違いなのだ。嫌いな他人の行動、嫌いな他人のせりふ、生活スタイル、ルール、それらは私が本当に求めるものをはっきり見るために、配置されたものなのだろう。順番も、規則も無くそれらのものが私の周りにある。私はそれらをそのまま受け止めてもいい。ただ、何を見るべきで何を見るべきでないかは私の意志がコントロールするのだ。もし嫌なものばかりが取り巻いていたら、いいものをイメージすればいい。そして、外の世界を歩き、そのイメージにぴったりくるものを見つけたら、そこに住み、それを得るために動けばいい。その時点で、すでに過去の嫌なものを見てきたことをすっかり忘れればいいのだ。それらは覚えておく必要が無い。現在の幸せのために使われた手段なのだから。