ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

時々自分は終わってると感じる。時々、ねっころがってただぼーっとして休んでいる。そこにあるのは調和。
調和は精神科医にあって以来乱れた。私を枯れ木と呼んだから。仕事も何でもできるし、就職活動もしてるし、ヨガもやってるし、朝もすっきり起きてジョギングまでしているのに、どこが私のどこが枯れ木なの?エネルギーがない、停滞してるって?
あんたのところにいくとそうなるのはしょうがない。だって私は患者としてあんたの前にいるからです。自動的になんだか哀れみや助けを求めるような魂になってしまうのです。
でもあの時は違った。相手によって変わる。でも今の精神科医を私は尊敬しているし信頼している。決してふざけた前のやつとは違う。だから私も誠実に努めていこうと思う。
だから、すこし家でゆっくりしている、ここ2,3日。というか、ショックを受けてよけいうつになったのだ。私に対して、仕事の許可を求める姿をずるいと表現したのだから。私のどこがずるいのか、人に頼ろうと、決断をゆだねようとするところがずるい、ならわかる。そう言っていただいてありがたい!少し半信半疑な自分のこういう思いであるが、自立とは、一人でも心理的にでも大丈夫な状態を言うのです、経済的自立ばかりに目を向けてはいけない、とあの人は言いたかったのだろう。
それならわかる。
私はでもそれができてたよ?でも、ああ、一歩間違ったのだ。一歩だけ間違った。医者に決まった予約の前に予約や電話までしてそんな仕事をしていいでしょうか(最終的に決めるのは私、)でもあの人の意見なら、多分続かない、とのこと、
私のエネルギーを見てはいるのだろう。ただまだしっかりしてないから続かないと言ったのだろう。期限付きで聞くのもやめてください、と言われた。
そんな。。。と思ったけど。
期限なしに、休めという心理的負荷が与えられた。先が闇の見えないトンネルだ。
でもいい。私は信じる。光明は近いのだと。近いから、もしかしたら一メートル先かもしれない。もしかしたら1キロ、50キロ先かもしれない・。。いや、そんなに遠くは無いだろう。多分、100メートルと見よう。どんな裁量かもわからないけど。ずっとここままじゃない。
バイトを始めるまでに100、社員までに、わからない。
心理的自立までには?一人でいて大丈夫、安心して大丈夫な状態・・そのときによる。いいときはいい。だめなときはだめ。でも私は今まで一人でいい時期を長く過ごしてきたはずだ。高校時代も大学時代も一人なら一人で何とかやってた。今みたいになったのはやや規範逸脱の一人でいると、不安や恐怖がすうと襲ってくるときもある。人との距離家族との距離を昨日感じた。あの病院でのことを思い出したからだ。でも思い出しさえしなければあの独特の雰囲気は襲ってこないだろう。胃の、みぞおちがむずむずするような感覚。わけもなく・・。・そう、わけもなく、私のイメージや私の内部の記憶から出てくるのだ。だから外に目を向けてればいい。何が怖いのかわからないけど。
平和で安心している境地のとき、すがすがしく、これから何かやろう、とやる気出していた先週のそのときの精神状態をいつも思い出そう。
それを繰り返そう。そのときにふさわしい呼吸をしよう。