ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

境界性パーソナリティの経験から学んだことのシェア

今日はブログタイトルを変えて、ブログの説明を加えた。境界性パーソナリティに関することを書きたいということだ。

まず私が言いたいこと、当事者たちには「生きることを前提とすること」を自分に誓ってほしい。「生きる」のです。私は数年後死んでるだろう、と思いながら生きてきて、もう40代になってしまいました。私は生きるということを前提にしていないことがあったので、人生設計がうまくいきませんでしたし、職業も安定せず、お金の心配をしながら生きることになってしまいました。

生きることになってる未来が存在するんです。するとお金はためとかないといけないし、後に残る傷のことも考えなくてはいけない。日々の生活の中で未来で後悔しないように、注意しないといけないんですよね・・

とはいえ、激しい感情の渦の中にあるときは、そこまで頭は回りません。これで最後だ・・と思うこともあるでしょう。でも何が何でも生きる、を前提にすることだけは最低限心に刻んでほしいです。

 

私は40代になって、外見の衰えを感じ、またコロナ禍でかなり自分の見た目が劣化したことを嘆いてました。30代半ばから後半にかけてとある優しい男が現れて、かつ彼はちょっと変わった人で、浮気を何とも思わない人でした。今私は彼とはそのような関係にありませんが、今でもメッセージなどで励ましてもらっています。

彼との関係で死にたくなるほどの苦しみを味わい、悲しくてたまらないときは、家のトイレで毎日泣いていました。彼には内縁の妻がいたので。

私は一人だ、という思いは、世界の中にたった一人という妄想のような思考で頭の中が占められてしまいます。過度な一般化ですね。でも人はその人のできる範囲で、私を愛し、助けようとしてくれるし、協力しようとしてくれるんです。

でもその人には能力の限界があります。際限なく私を助けることは不可能なのです。だからと言って悲しむことはありません。私は私で十分私の面倒を見られるんです。

そういう、自立心、自信も必要です。でも今すぐ必要なわけではありません。日記が功を奏します。自分はあの時、こういう行動に出た、これは正しかったかどうか、ほかの行動を選択できなかったか・・考えてみるのです。これを積み重ねると自信もついてきます。

そして自分が何をしたいか、何が好きで、誰と一緒にいたくて、どういう生活を望んでいるのか・・これも日記に書いてみる癖をつけます。するとだんだん自分がどういう人間か確認できるようになってきて、自分に自信がもてるようにもなります。

能力はそもそも備わっています。でもどうやって活かしたらいいかわからない・・

それは人に相談したり、自分で調べたり、自分で最初のステップをどこかで踏み込むことで生かせるようになってきます。

理想の自分、理想の生活は遠く思えるかもしれませんが、その理想に近づくための一歩を今日から踏んでみる。そうすることで、絶望しなくても済むんです。

私はその彼と離れることで(別の町に仕事の関係で移りました)落ち着きました。また新しい男との関係に今悩んでいますが、人に期待しない、人には限界がある、人の能力・行動を起こさせる環境因子には限界がある、ということを知ることが大事です。

感情のコントロールは難しいし、ふっと選択すべきではない行動をすることもあるでしょう。でも失敗を繰り返して、望ましい行動は何か自分でわかってきます。すると本当に望ましい行動しかとらなくなっていきます。

私は4年間その男と不遇な関係を続けていて、もう彼に応じないほうがいい、彼に期待をしないほうがいい、と思い始めています。

それも日記のおかげです。1年前の日記を読み返すと同じ事で悩み続け、同じことを同じ友達に相談しています。

友だちは根気よく、聞いてくれるのですが、その分、友達を心配させ、友達の時間を奪っているのでもあります。友達は時間を奪われているとは思っていないし心から助けたいと思ってくれているのはわかります。でも私は結果的に友達の時間を取ったことは事実ですから。その時間があれば何か別のことをしていたはず・・何より友達は私の幸せを願ってくれています。

ある友達は、私とのラインをブロックするといいました。それは友達にとってはなんでもないことだそうですけど、私にはショックでした。友達曰く、「悩んだ時、困ったときしか連絡してこない」「僕は包帯みたいなものだね」

友だちは親身になってくれて誠実なアドバイスをいつもくれました。でも私は彼に甘えていたんですね。しかも自分は本当は自分で解決できる方法を知っているのに、です。それは彼に注意を向けてもらうことがうれしいから(友達は男です)。

でももう彼に会うこともないし、連絡することもない‥と思うとこれほど寂しいことはありません。素晴らしい友人との付き合いが消えたのは私は失敗だったと思っています。そしてその失敗から、心の自立をしようと思い、相談される側のことを想像することにしました。

 

今日は自分の経験から思うことを書きました。何かお役に立てれば幸いです。