ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

彼のことが気になるけど、それよりも自分を育て、自分に配慮することだ

いらだち・・

二日前にメールをしてしまった私。返信はない。

誰も他人をコントロールすることなどできない。でも彼が返信をしないことがいらだちになることもある。仲良くしていたのに。いとも簡単に私を無視して私を捨てたのだ。

友だちとして捨てたのだ。

何の話し合いもなく、ただ一方的に返事をしたくないといって。

悔しい。でもその後、もし私と本当につながりたくないなら、もう私のメールを無視して、と私から言ったのだ。

だから無視するのは当然と言えば当然なのだ。

でもあとで、やっぱり返事してほしいと書いた。でも返事は来ない。

迷惑メールフォルダに私のメールが入ってしまっていて、ろくに中身も見ずに全部消しているのかもしれない。

私はないがしろにされたと感じる。価値のないものとされたように感じる。

こう書けば、彼が私に注意を向けないからと言って、私の価値がなくなるわけではないと友達なら言うだろう。

でも私は自分で自分の価値を感じられない。

職場には必要とされている。生徒たちにも必要とされている。

でもむなしい。私が職場や生徒を価値あるものとして扱っているだろうか。

私が他人を価値あるものとして扱い、尊重しているだろうか。

他人をありがたいものとして感謝し、価値を認め、存在に感謝し、尊重し、配慮すれば、私も私をそのように扱うことができるだろうか。

 

昨日また服を買ってしまった。素敵なシャツを見つけて、こんなに気に入ったものはなかなか巡り合えないと思って、私にとっては値が張るけれども、買った。

でも太った体。もしやせていたら、もっときれいに見えたはずなのに。

もしできることなら、素敵な服装で彼の前に現れたかったのに。

 

恋愛や好きな人に夢中になることが私の生きがいになっているのだろう。

それを失った今、食べ物や買い物で心を満たそうとしているような気がする。

読書によって心が満たされるのではないか。

もっと読書や自分を発展させるための勉強にまい進するべきじゃないのか・・・

 

買い物は一瞬で終わる。でもそのシャツは本当に素敵だった。きっと数年は大事に着ると思う。それなら良い買い物だったといえるけど、先週の日曜日も服を買った。

それらの服はそんなに気にいったわけではないけど、服が足りないから、安売りしてたので買ったのだ。私は数年、あまり服を買っていないし、母からもらった服などで、心から気に入っているわけではない・・

 

私は自分の回りを私の好きなもので埋めたい。そうじゃないものは処分したほうが良いと思う。

断捨離とまではいかないし、断捨離の思想に共鳴しているわけではないけど、いい環境を作る必要がある。

 

自分を大事にすることは自己投資だ。

何もかも功利主義になるのもよくないけれども・・

 

心を豊かにするには、人を大事にすることだ。人のいいところ、愛すべきところを見つけることだ。

去っていく人を追わないこと、去っていく人に執着しないこと。でも難しい。

とても寂しい。辛い気持ちになる。

その人は私に暖かい気持ちを与えてもくれた。

今は去っている。

そういった優しさを大事に思って、その人を逃がせばいいのではないか。

 

心の葛藤は続く。先月下旬に彼から返事がなくなり、彼が一方的に怒って、私を排除した。自分自身のエゴで。私の気持ちをないがしろにした。それは事実だ。

共感性がない人だから。

 

友だちも、彼と離れてよかった、と言った。

友だちこそ、私の幸せや平和を願ってくれている。私の達成したことや喜びを心から喜んで共感してくれる。

いい友達が、彼と離れることは私にとっていいことだ、と言ってくれた。

その通りなのだ。でもわずかに友情もあったことは否めない。お互いに理解し、共通の趣味を楽しむことを共にして楽しかったこともあった。

彼は過去のストーカー被害の経験から、私を警戒しているし、恐れをなしているのかもしれない。

彼にはトラウマがある。でもストーカーを本気で怒らせて裁判を起こさせるほどの、共感性なく相手を利用する男なのだ。

ストーカーが頭のおかしい人間だとしても、どこかに道理はあるものだ。

人には行動の理由がある。ストーカーにはストーカーの言い分があるのだ。

私はそう思う。

犯罪者がすべて悪いとは思わない。彼らの立場や経歴、物事の経緯を思うと、何かそうさせた理由が、言い分があるのだ。

私は彼とかかわって、彼が相手を責める人で、自分の利益を第一に考え、相手の悲しみに共感しない人間で、人をもの扱いする節があり、自分が素晴らしいと思い込んでいる人間だとわかっていた。

でも彼を許していた。彼にも虐待のトラウマがあったからだ。

そんなところが私に魅力に映ったのかもしれない。彼の弱さが。

 

私は私のことに集中しないといけない。

いつまでも彼のことで心を占めているわけにはいかない。

昨日はおいしい料理も食べた。素敵な服も買った。色々服やカバンなどを見て、飽きなかった。楽しかったのだ。

そういう日を台無しにするような過去への思いは断ち切ったほうが良い。

 

すぐには無理だし、永遠にふと思い出すのかもしれないけど、それに引きずられて時間を無駄にして、自分の義務を怠ることはあってはいけない。

 

自分で自分を楽しませ、自分を休ませ、自分に栄養を与える。

そうやって自分の面倒を大事に見ていくことのほうが重要だ。

心を豊かにするには、感動も必要だ。私なら読書や哲学から、生きるヒントをもらえることもある。

音楽も、鍛錬が体を鍛えるし、音や上達が自信をもたせる。動画を見ながらの勉強で、より美しい演奏に近づくことが喜びになる。その演奏を誰かに聞かせて、感動してもらうことも私の喜びになる。

自分を生かし、自分の能力を発揮して人に見せること、人との交流に役立てること、自分を振り返り、改善していくこと、成長していくことが喜びになる。

もっとそういったことに気を配ったほうが平和になる。憎しみが湧いてこなくなる。