仕事を休みたい気分だったけど出てみると気分は解放された。
日内変動する気分障害…
外を歩き始めたらウンザリしてきた。イライラしながら歩いていた。
でも美しい光景に出会った。信号待ちを父親らしき人と手を繋いでこっちを見ている2、3歳くらいの女の子が私を見て、手を振っていた。
私も笑って手を振りかえした。するとまたその子は手を振っていた。
自然と笑顔になり、楽しい気分がした。
スクール近くで生徒とすれ違い、手を振って挨拶した。
向こうも手を振って挨拶してくれた。
これだけでも、素敵な気分になれた。
授業準備、授業計画がうまくいかない、と昨日は自分で自分にマイナス評価を下し、それでも改善するだけのエネルギーもなく、このまま老いていくのかと憂鬱になり、自分に厳しい言葉をかけすぎた。
死にたくなってもきた。
でも外にはラッキーなことがある。笑顔になれる材料を神様が用意してくれていたのだ。
仕事に救われた。
何度もそう思ったことがある。仕事をすること、毎日役割を演じ、割り当てられた仕事をこなすこと、より良い働きを重ねて、レベルアップして、新しい力を培うこと、金銭面でもアップしていくこと、そう言ったことに従事できるのは幸せなことなのだ。
ヘルマンヘッセも言った。
生きるに足るほどの、あるいは、死ぬには惜しいほどの美しいものを見つけるようにしなさい、という意味の言葉。
私も美しいものを今日みつけた。
会社のやり方やシステムに不満はあれど、恵まれている部分はある。
この国の人々はみなフレンドリーで友達みたいだ。
だから長々と住んでいるのだ。
それを進歩がないとみるか、生きながらえられる環境に身を置く懸命な判断と見るか、認識の仕方の違いによる。
出来事は複雑に絡み合っていて、白黒つけられるものじゃない。
それもモンテーニュのエセーから学んだ。
解釈の仕方は自由だ。そしてどの解釈も真実を少しずつ含んでいる。白黒つけると精神に悪影響を与える。
感情も極端から極端になる。それは妄想を信じているかのようだ。
日々学びながら、自分を客観的に知り、認めるようにしたい。
そうしたら現実や自分の希望や何が自分にとって利益あるのか、価値あることなのかわかってくる。
良い気分になることも嫌な気分になることも感じつつ、最善の道を歩けるように、自分や世界を観察していこう。