ganashfieldの日記

日々の記録 境界性パーソナリティ― 全般性不安障害

過去のことを考えつつ今や未来のことも考えます

精神疾患の人の経済問題について医者はあまり考えていないように思える。以前日本でかかっていた医者はそうだった。

コールセンターで働いていて、何人に電話かけるの?とか何時間働いてるの?とかとがめるように私に聞いた。

私はうまく適応していたし、仕事が嫌いじゃなかったし、人間関係のストレスも職場でなかったし、給料もスキルのない私の労働にしてはちゃんと得られていると思っていた。

でも単純労働の仕事なので、スキルアップにはならないと思ってもいた。

結局、母に仕事を否定的にとらえる発言をされて、やめてしまった。仕事を見下されたのだ。

 

その医者は私が東京の閉鎖病棟に、病院経営のために理不尽に入院期間を延長されて、人権侵害を受けたことについて信じてくれなかった。

その話、もういいから、しないでください、とも言われた。

それに生きていくには金がいることも理解してくれなかったと思う。仕事ができていることを喜んでくれてもいいようなものなのに、そんなもの、続かないと思うけどね、とかネガティブなことを言われて私を絶望させたりした。

 

精神疾患がある人でも働いて生きていかないと医療サービスも受けられない。

 

私は知的障害があるわけでも重度の精神疾患でもないから、やっぱり働いていきていかないといけない。

 

経済的基盤は、不安解消にもなる。いいことなのだ。

 

でもその医者は私が仕事をすることをよく思わず、スーツを着ていたり、元気だったり、転職先を探している、とのことを話すと、ネガティブなことを言った。

 

医者に行くたびに、ネガティブなことを言われて、沈鬱な絶望的な気分になってしまった。

 

でも母が東京の病院の私を大げさに語る説明や、自傷他害の恐れありという、事実ではない説明を信じ込んでしまい、私に薬を飲みなさいと言い続けた。だから医者に通うのをやめられなかった。

私は実家の世話になっているぶん、母に逆らうことができなかった。

 

母は子どものころから絶対的な支配者だったし、母が怒らないかいつも怖かった。

ちょっとどけて、といいながら叩いたりするようなすぐ暴力が出る人でもあった。

 

いまさらこんな話をしてもどうしようもないけど・・

 

私は就職氷河期の世代で、卒業と同時に海外に渡った。そこから人生がおかしくなったんでしょ、と父に責められる。

父は最近になって私が就職氷河期の世代だったことを知ったようだ。

それまで、私が海外に出たということをお前の責任だと思っていたらしい。

 

確かに私の責任だが、日本に戻って働く努力もした。でも入院でチャンスが奪われた。

そこから本当にもっと症状が悪化した状態の精神疾患になってしまった。

もともとボーダーだったと思うけど、当時は自傷もしていなかった。

(私の自傷の原因は家族に対する怒りでした。特に母に対して腹が立つと勉強に集中できるようにするために自分を傷つけていました。母の私への言葉にとても腹が立つことが多く、高校卒業したらこの実家を出ようということしか考えていませんでした。)

入院の経験が私を絶望させる原因になってしまって、病院への怒りや恨みも私の心を蝕んだ。

 

今はいい医者のもとにいるし、こちらの国の医療のほうが日本の精神医療よりいい。

薬も私にあっている。だからこの平穏が壊れるのが実は怖いのだ。

でも医療は私の人生の一部でしかない。それより仕事や人生のことを考えたい気がする。しかしトラウマに襲われてしまう。

 

30代半ばも日本の精神医療への不安があって、帰れない状態だった。

 

今はどうかというと迷っている。このままここに居座っても、自分はいい生き方ができない。いい生き方を望むことはダメなことなのか。

精神疾患があることを認めて、おとなしく今の仕事に従事して、経済的に不安定だけど、生活できていることに感謝して、仕事を選ばないほうがいいのだろうか。

 

リスクを取らないと成長できない気がする。

成長なんて望まないほうがいいのか・・ただ食いつなぐことだけ考えればいいのか・・

 

でも結局、自分の責任で、生きていくのだ。

これは不幸なことじゃない。自分で自分をコントロールしながら一人で生きていくことは楽しいことだ。あの実家に住むくらいなら一人のほうがいいのだろう。

心細さや不安はみんなあるだろう。私一人だけではない。ただ私はもっと神経質で過敏だから傷つきが大きい。

 

もっと自信をもちたい。